駄文館 展示室1B

あいぱっちくらぶの署名活動に協力して

 

 以前、このサイトで弱視の治療眼鏡などにかかる療養費の保険適用を求める署名のお願いをしていた。多くの署名のかいもあって、2006年4月から保険適用が認められることとなった。署名をいただいたみなさんに、ここでお礼申し上げたい。

                     

ありがとうございました!

 

 ここではどのような署名活動であったかふりかえった後、これにたずさわってphが感じたことを述べたい。

 

署名活動の内容と、経過

弱視には治療により視力向上が望めるもの(医学的弱視)と、そうでないもの(教育的弱視、社会的弱視)がある。そのうち視力向上が望めるものとして、斜視である目が見たいと思う目標とは別方向のものを見てしまうことで見る経験が不足し弱視になる斜視弱視、左右の視力に差があり視力のが高い方の目ばかりを使ってしまうことで低い方の目が弱視にある不同視弱視などがある。

斜視弱視の場合、斜視の方の目が十分に物を見ないことで視力が伸びないわけだから、斜視の方の目でものをしっかり見るように仕向ければよい。また、不同視弱視の場合も視力が悪いほうの目を使うように仕向ければよい。

このように、「ふだん見る経験が少ない目に見る経験を積ませることで、視力向上をめざす」のが、医学的弱視の治療法の考え方である。

 

実際の治療としては、斜視である目にまっすぐものが見えるようにするコンタクトレンズ(フレネル膜プリズム)を入れる、視力がよい方の目をあいぱっちや目薬でさえぎるということが行われる。このような治療によって、治療前は0,1であった視力が治療後には1,0に上がったという例が数多く報告されている。 

ところが、そういった治療に用いられるあいぱっちやフレネル膜プリズムには保険で治療費が支給されなかった。1964年旧厚生省から「眼鏡は(療養費の支給対象となる)補装具から外す」との通知が出されていたため、支給されなかったのである。

治療用に使うものは保険が適用されるという原則があるにもかかわらず、めがねやコンタクトだからという理由でその原則から外れるのはおかしい。

弱視についての情報提供と弱視の子どもを持つ親御さんのサポートを目的として設立した「あいぱっちくらぶ」は、2004年4月保険適用を求める署名活動を始めた。それとともに、親御さんに保険適用を求める手続きをするよう勧めた。親御さんたちの粘り強い保険申請のかいもあって、2002年1月から2004年9月まで 「あいぱっちくらぶ」によせられた保険適用報告は100件を超えた。だが、保険者の種類や申請する地域によって保険適用が認められないケースも相次ぎ、ひきつづき署名活動が続けられた。

そしてついに2006年3月15日付けで、治療用眼鏡等に係る療養費の支給を認める通知が厚生労働省から出され、4月1日から保険者の種類を問わず全国一律に保険適用が認められることとなったのである

そして現在、9歳未満の子どもが使用する、「弱視、斜視、先天性白内障術後」等の治療に必要だと医師が判断し処方した眼鏡やコンタクトレンズに弱視眼鏡なら最大26,460円、コンタクトレンズなら1枚につき最大11,103円が支給されるようになり、支給が認められなかったときに比べ経済的な不安なく治療できるようになっている。

 

保険適用について詳しくは、こちらへどうぞ。

あいぱっちくらぶ

http://www.eyepatchclub.jp/

 

署名活動に参加した、phの感想

 phにとって、初めて直接政府にうったえかける活動だった。

 弱視について国に直接働きかける活動ということで、はじめこの活動にたずさわれることがとてもうれしかった。また、多くの方から署名頂けるのもうれしかった。2004年1月から2005年4月までで、1人で100筆近い署名を集めた。

だが、そうやって署名を集めるうちだんだんむなしさにおそわれるようになった。医学的弱視の子どもたちは、治療すれば視力が上がる。だが、phはそうして必死に署名を集めても視力が上がることはない。そのことに、たまらないむなしさを感じたのである。

 phはふだん、「視力が上がればいいのに。」と思ったり自分の見え方に不満をもったりすることはない。しかし、ふだん気にとめない視力について考えたとき、やはり視力が高い人をうらやましく思う。もし、弱視でなければ今とはまた違う人生を送っているのではないかと想像するのである。そうやって考えると、今の自分がむなしく思えるのだ。

 結局のところ、「視力を、いかに上げるか」といったような話題にはphはついていけないのだと思う。弱視についての取り組みはいろいろあるけれど、phは「視力を、いかに上げるか」ではなく、「視力が低いままで、いかに豊かに過ごすのか」ということを考えていきたい。

 

署名活動以後、気になること

最近、弱視についての掲示板を見ていて気になることがある。

「子どもが弱視なのですが、視力が上がるでしょうか。」、「子どもの視力が上がるように、親子でがんばります。」といった視力向上に関する書きこみが多いのに対し、「弱視の子どもに、どんな支援をすればよいのか。」、「弱視ということで、家庭生活で注意する点は何か。」といった弱視児生活に関する情報交換がほとんどないことだ

これはネット上の掲示板に書き込まれる方には、子どもが弱視だと診断されたばかりの方が多く、まずどのような病気で治療できる可能性があるのか確認に来られる方が多いというネット上の掲示板ならではの事情もあるのだろう。

それでもネット上の掲示板において、子どもの「視力」ばかりに話題が集中する状況はやはり気になる。「視力」ばかりに気をとられて視力以外の子どもさんについてのこと(例えば、子どもがふだんどんなことを考えて生活しているのか、友達とうまく遊べているか)に親御さんが注意を向けているのだろうか、親御さんが視力が低いことも含めて子どもさんのことをまるごと愛しているのだろうかということが気になるのである。

また、子どもがよく使うものに大きな文字や絵を添える、こそあど言葉を使わずにものごとを説明するなど、見えにくいなりの配慮を子どものまわりがしているのかという点も気になる。

社会的弱視ならずっと、医学的弱視でも一時的にせよ、弱視の子どもさんは「見えにくい」時を過ごす。どうすれば子どもが見えにくいことで不利になることなく、明るく、楽しく、過ごせるのか。そんなことにも、弱視の子どもをおもちの親御さんは関心をもってほしいと思う。また見えにくい面も含め、親御さんをはじめとする子どもの周りにいる方々が子どもをまるごと愛することができたら、それは子どもさんにとってとても喜ばしいことだと思うのだがいかがだろうか。

当展示場は、2005年3月京都府立大学で行われた府民講座「斜視・弱視」のレジュメ、「あいぱっちくらぶ保険給付を求める活動の記録」などを参考に書きました。

 

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