展示室2D

保育園での思い出

 

 おそらく1987年、もしかしたら1986年かもしれないが、私は保育園に入園した。そのころのことは、自分でも意外なほどよく覚えている。

 やたらとハーモニカの授業があったこと、昭和天皇崩御のニュースのためお気に入りのテレビ番組が見られなかったこと、「平成」という元号が発表された記者会見を保育園で見たこと、隣にあった幼稚園の「夏休み」にあこがれたこと。

とさまざまなことが思い出されるが、当館ではphが特に印象深い思い出について展示することにしよう。

 

「折れなかった折り紙」

1989年冬、私が年長のときのことだった。

クリスマスに向けて、サンタを折り紙で折ろうという時間があった。

みんなが座っている前に1人の保母さん(当時はまだ、保育士という言葉は一般的でなく、当然のごとく保母という言葉が使われていた)が立ち、実際にサンタを折りながら折り方を説明してくれた。

3工程目までは、なんとかついていけた。だが、先生の説明は早い。しかも、お手本となる先生が折っている様子は、一番前から見てもよく見えない。こうして、phはあっというまについていけなくなった。だが、誰も気づいてくれる人はいない。なにせ、部屋に先生はお手本を示している先生1人だけ。おともだちも折るのに必死になっており、phを手伝う余裕などないのだから。

そんな状況に、phは慌てた。

「phだけ折れていない。先生の説明も、わからない。でも、ともだちはどんどん進んでいく。」

自分が折れないことが、なんとも悔しかった。

「なんで、みんなはできるんだ。」

次々とできていく友人を見ると、その悔しさはいっそう膨らんだ。

でも、どれだけ悔しがってもphはサンタを折れるようにはならなかった。

もし、手本を示す先生のほかにみんなの様子を見ている先生がいたら、phが弱視ゆえの特別なニーズ(ここでは手本を近くで示す、ゆっくりでも確実に折れるようにphのペースにあわせて折り方を教えてくれる)にこたえてくれる人がいたら、phは悔しさを味わうことも、他人をうらやむこともなくすんだであろう。

しかし残念ながら年齢が上がるごとに、特別なニーズにこたえられていないことにより悔しがり、他人をうらやむ体験は増えていってしまうのである。

 

折り紙はできなかったが、phの園生活は比較的順調なものであった。ハーモニカもそれなりにうまくふけたし、ともだちとの関係もうまくいっていた。

 

「保育園のおともだちといっしょに小学校に行けたなら、phの小学校生活をスムーズにいくでしょうに。」

保育士さんはそんなふうに、言ってたっけ。

でもその願いは学区制(住んでいる地域によって通う小学校が決められる制度)を前にして、かなうことはなかった。

 

 そして友達が、ほとんどいない。そんな状況で、phの小学校生活は始まることになった。

 

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